妻の地元の地域医療の惨状を知り、地域医療に目覚める

病理医は基本的に大きな総合病院でしか働きません。だから、地域医療に接することはないのですが、偶然、妻の地元にあるクリニックで臨床医として働く機会がありました。それまで、僕は自分が病理医として医療の根幹を支える重要な地位にいると思い込んでいたのですが、そこで目にした現状は僕が全く想像だにしなかったものでした。

地域のクリニックには、リアルな臨場感があります。風邪、腰痛、不眠、肥満、朝起きられないなどなど、まさに生活に根ざした「今、そこにある、切実な悩み」です。彼らは顕微鏡の前の細胞のように留まっていることはありません。刻一刻と空気感が移り変わっていき、ひとときも同じ状態のままでいることはありません。今日、明日といった短い期間であっても接し方を微妙に変えていく必要があります。病理医的な技術ではどうやっても解決することができない。

でもこれってつまりは、生きた人間と接するという誰もが日常的にごく自然に営んでいる行為なんですよね。普通の人が聞けばそんなの当たり前でしょ、と言うかもしれません。でも僕は細胞や亡くなった方とだけ接するという普通の人にとっての非日常を日常として生きていたために、これを驚異的に新鮮なものとして感じ取ることとなったのでした。

加えて、地域の実情もある程度知り、地域の方々が、気軽に何でも相談できるクリニックの数がかなり少ないことがわかりました。ざっと地域のクリニックを俯瞰してみたとき、専門科を掲げているクリニックばかりです。また、小児科は絶滅寸前と言って良いほどでした。そんな中にあって、偶然僕が働いたクリニックは、何でも相談できる、かかりつけ医としての機能をある程度持ち合わせているところだったので、専門性に囚われない診療を体験することができる場所でした。昔ながらのクリニックは今や希少な存在です。僕は期せずして、病理医とはまた異なる希少種を身をもって体感するという経験に恵まれました。僕は多分「希少種の神」に魅入られているのではないかと思います。

結局、そのクリニックは閉院となってしまうのですが、もはや僕の中には病理医に戻るという選択肢はありませんでした。僕は病理という、臨床と最も程遠い場所からいつの間にか臨床の真っ只中に戻ってきてしまっており、しかもその中にいる自分に心地よさすら感じるようになっていたのです。妻の地元ということも大きかったと思います。全く見知らぬ他人であった僕を地域の方々が温かく迎え入れてくださったのは、妻のおかげです。

こうして僕は妻におずおずと打ち明けることになります。
「自分のクリニックを開業しようと思うのだけれど」

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